2007年02月11日 【ふるさと文化財】
安曇野教育の礎を築いた偉大な先覚者

◆藤森桂谷之碑◆
安曇野市豊科近代美術館前庭
藤森桂谷、本名藤森寿平(1835~1905)は、幕末から明治にかけ安曇野で活躍した近代教育、学校教育の礎を築いた先覚者である。天保6年(1835)安曇郡新田町村(安曇野市豊科新田)に生まれ、京都に学び幕末、明治維新という激動の時代を経て次代を担う人材育成の必要性を痛感し、明治3年(1870)法蔵寺に青少年教育となる私塾実践社を開設。実践社とこれを発展させた猶興義塾(武居用拙塾)からは、長野県国会開設運動を担う自由民権運動家松澤求策、降旗元太郎や塩尻町長となる堀内千萬蔵ら多くの人材を輩出した。「豊科」の名付け親ともいわれ豊科学校(のちの豊科小学校)を開設している。文人画家としても安曇野画壇の中心的役割を果たし、有明山神楽殿の天井絵にその力作を見ることができる。終生、高位高官を望まず無位無冠を通した高潔な人物であった。没後100年にあたる一昨年、偉業を称えて豊科近代美術館の庭に胸像が建てられ、その凛とした気高く優しい眼差しが安曇野の明日を静かに見守っている。












