2007年04月08日 【ふるさと文化財】
287年の時を超えてたたずむ 南端の境界標

◆高遠領分杭◆
駒ヶ根市吉瀬地区
駒ケ根市街の南東部の山間、吉瀬橋のたもと「従是北高遠領」と刻字された高さ2.5メートルの石柱がある。これは分杭と呼ばれ、境界をあらわしていた標柱である。高遠藩領には、かつて総計百五本もの分杭が建てられていたが、現存する分杭は数本だけで、極めて貴重なものである。分杭の建立時期は、藩領が幕府領松本藩預かり地になり、幕命により松代藩が総検地を実施した元禄3年(1690)といわれ当初、木製であったものが石製に改められていったとされる。 吉瀬の分杭は、文政10年(1827)に高遠藩最南端に位置する日曾(ひっそ)利境(りざかい)矢(や)平(だいら)に木製から石柱に改め建立されたが、銘文に領主名ではなく、高遠領と領名を記したため幕府の許可が得られず、その場に横倒しにされていたものを大正7年(1918)北吉瀬諏訪神社跡に保管し、昭和52年(1977)吉瀬橋の架橋を記念し、現在の地に建立されたものである。分杭は、今も昔も駒ヶ根市の南端を標し、天竜川のせせらぎを聴きながら静かにたたずんでいる。












