2007年07月15日 【ふるさと文化財】
作物を守り、くらしを護った、とりで

◆鉢伏連峰西麓の猪土手◆
長野県林業総合センター敷地内
かつて、鹿は「かのしし」、かもしかは「かもしし」、猪は「いのしし」と呼ばれ、それら野生動物が田畑を踏み荒らし、農作物を食い荒らすのを防ぐため猪土手といわれる堡塁がつくられていた。鉢伏連峰西麓の猪土手はこの地、最大級のもので、松本市中山の新田細入から内田、熊井を経て塩尻市下西条までの約28キロメートルにもおよび、当時の作物被害の甚大さがうかがえる。 その起源は文禄年間(1592~96)といわれ江戸時代末期(1600~1867)まで山と里の境界の役割を果たしていた。幅2メートル深さ1メートルほどの溝を掘り、掘った土を里の側に積み上げるので、山側からは、2メートルほどの高さがあった。さらに土手の上には猪垣と呼ばれる柵を組み、道などには木戸を設け、要所要所には、小屋が建てられ収穫期には猟師などが詰めていた。現在、長野県林業総合センター敷地内に一部が復元されている。先人たちが数百年にわたって育んだ、人と自然の共存共栄のあり方がそこに息づいている。












